モラハラで離婚しました。

14年間の結婚生活にピリオドを打ちました。モラルハラスメントが原因での離婚で

LOUIS VUITTON店で

もう、結婚して8年くらいが
経っていた頃だと思います。

「ボーナスが出たから、何か好きなものを買っていいよ」と夫が言ってくれたので、
こんな事滅多にないからと、考えた挙句、
LOUIS VUITTONが欲しい」
と言ってみたのでした。
そうしたら、「いいよ〜」と言ってくれたので、
予算はどの位まで?と聞いたりしながら、どのタイプにしようかとワクワク考えていました。
その頃友達は食事会にはヴィトンを持ってきていましたのて、私も1つくらいはヴィトンが欲しいなぁ〜と思っていたのでした。

善は急げで、今度の日曜日に一緒にお店に行き、買ってもらうことにしました。その後、子供科学館に行く事にし、家族で出かけることにしたのです。

バッグの候補は、最終的に2つ位には絞っていたのですが、実際に使い勝手とかもあるので、実物を見せてもらってから決めようと思っていました。夫と子供は別の買い物をしてから、ヴィトンで合流することになっていました。私だけ高島屋LOUIS VUITTONに行き、当日買うつもりだったので、バッグを2〜3出してもらい、店員さんにアドバイスをもらいながら、気持ちよくどれにしようかと考えているところへ
夫が子供を連れて、突然、
「早くしてよぉ〜、もうバスの時間がないんだからさぁ〜!!!」
「早くしてよぉ〜!!!」と大声を出しながら
LOUIS VUITTONの中に入ってきたのです。
私は店員さんに、
「すみません」とだけ言うのが精一杯で、
お店を出ました。
顔から火が出るほど情けない気持ちでした。

店員さんに何が申し訳なかったというか、
驚かせてしまったこと、購入しなかったということが申し訳なかったのですが、私が本当に悲しかったのは、こんなにも尋常で無いということを店員さんに知られてしまい、気を遣わせてしまったことが私としては一番申し訳なかった(辛かった)のです。

彼は、私に恥をかかせようと企んでいたとかではなく、単純にバスの時間に遅れるのが嫌だったのです。
LOUIS VUITTONの中にあんな大声で入って来て、恥ずかしいじゃないのぉ〜」と夫婦喧嘩できるのであれば、それはそれで幸せなんじゃないかと思います。

その後は、彼が乗りたい時刻のバスに乗りこみ、子ども科学館に行くのでした。

私は、初めてLOUIS VUITTONで本気買いだからとバックも出してもらい、こっちが良いかなぁ〜、やっぱりこっちの方が長く使えるかなぁ〜と気持ちよくセレブ気分で買い物を楽しんでいたのが、一瞬にして奈落の底でした。

もうその頃には、夫婦仲を改善しょうとかの気持ちもなく涙も出なくなっており、ただ運命を恨んでいた頃かもしれません。

元夫は、アスペルガー (ASD)だった?

今は、アスペルガーという言い方はあまり良しとされておらず、ASDと表されているとのこと。

元夫はアスペルガーだった可能性が高いなぁ〜と。

何故ならば、ASDの特徴として、人との距離感を図れない特徴があるからなのです。
最初は誰でも初対面で、それから関係性を作っていくわけですが、ASDの人はその関係性そのものが築けない。

親や兄弟、夫婦でもいくら経っても、
関係性が深くならないのです。
深くならないというか、深めるやり方が分からないといった方が適切かもしれません。

その特徴として言葉にあります。
敬語を使う傾向にあり、親や兄弟でも
普通に敬語を使います。
一見、丁寧な感じがしますが、人との距離感がわからないので、親しくなっても敬語を
使ってしまうのです。

私にはずっと丁寧語を使っていました。

また、子供が産まれてからは、
一切、赤ちゃん言葉を使いませんでした。
0歳児の赤ちゃんに対して、普通は「バブー」
とか言ってあやすのですが、全くありませんでした。
1歳の子に対して、「こんなことやったらダメでしょ?」と普通の大人に言う
イントネーションで話してました。
その頃はあやし方がわからないんだなーと思っていましたが、そうではなかったのだと、今になってわかりました。
また、私の事を、他の人に説明する場合、
配偶者と呼んでいました。
最初は照れ隠しかな?と思っていたのですが、
親しみを表現すること自体ができなかったのだと思います。
「うちの女房が」とか、「ワイフ」がとかいう男性がいますが、奥さまが羨ましいなぁ〜といつも思っていました。

その事を20年前に分かっていたら、
この人とは結婚してなかったと思います。
なので、この人どうかしら?と思う人と付き合っている、または、もう結婚してしまっていたら、
対処方法を考えなければなりません。

何故ならば、結婚生活をうまくしようと
いろいろ対応工夫をしていても、先天的に問題がある場合はその努力が徒労に終わってしまうからです。
これは男女の関係に関わらず、
同性も同じことがいえます。
職場関係でも人間関係で悩んでいる方も多いと思います。相性もありますが、原因が元々の相手の性質にある場合があるのです。


発達障がいの中には、
アスペルガー(ASD)
LD(学習障がい)
ADHD(注意欠如、多動等)が含まれますが、
集合の円を3つ重ねた図のように
(図が書けなくてすみません🙇‍♀️)
どの性質がどの割合になっているかは
診断をしないとわからないのですが、
複合的な要素が重なっている場合もあるのです。

このような症状の人とうまく生活するには、
まずは病院で診察を受けてもらうのが一番良いと思いますが、心療内科に行ってきたらと言ってもなかなか行かないと思います。その人がどのようにしたら、物事をスムーズに進められるのかを検証して、それで対応していくのが個人的には早いかと思っています。

ASDの場合は、こだわりが強かったりしますので、
そのこだわりが何なのかがわかると地雷を踏まなくなります。傾向と対策をしないと、普通の人のようにこちらの対応はしてくれないので、回り込んでやっていくしかありません。非常に疲れますが。

元夫は、病院には行ってませんでしたので、
病気だったのかどうかもわからないのですが、
今、いろいろな情報を得て考えてみると明らかに
ASDだった可能性が強いと思っています。

両親に挨拶に行った時

結婚前に、夫の実家に行き、両親に挨拶に行った時のこと。お義母さんから思いがけない事を言われた。

「この子変わってるのよぉ〜!
この子とずっと話してると、
頭がおかしくなっちゃうのよぉ〜」と。

これから結婚をしようというお嫁さんに対して
こんな言葉をいうなんて、
なんておかしなお母さんなのとその時は思った。
しかし、今になって思うと、
あの時の言葉は正しかったのだ。
おかしいなと思うと同時に
彼のことを疑うべきだったのだ。

離婚をした時に言いたかった。
「お義母さんが結婚する時に言われた、
この子はおかしいのよ!という事が、
この14年間でよく分かりました。
なので、離婚します」と。
まあ、そんな腹いせじみた言葉は
言わないで別れたのだが。

私が妊娠をし出産が近くなった時に
私の母がクーラーをつけておいた方が
いいんじゃないかと言ってくれた。
お金も出すから買いなさいと。
私が赤ちゃんの頃、汗疹がひどく困ったのだそうだ。

その事を夫に伝えると、
「あなたは地球温暖化の事をどう考えているの?
クーラーから出る熱が地球温暖化の原因の1つになっている事を知ってるの?」

まさか地球温暖化の話が出てくるとは
思わなかった。
この人は何を言ってるんだろう?と思った。
社会的なことに目を向ける考え方は好きだったが、
それを今言うの?
それとこれは違うんじゃないの?
と思い、反論すると、

「自分1人位いいだろうと、みんながそういうことをするから地球温暖化になるんだよ!!
その1人になってはいけないんだよ。」と。
こんな議論を毎日3〜4時間続き、いつも真夜中に。
クーラー買う買わないの話は、2〜3週間続き、
「じゃあ、もういいよ〜
でも、家計からは1円も出さないでよ!!」と、
最後に放った言葉がこれだった。

この人はこれから産まれてくる
赤ちゃんの事は考えないのか?
自分は会社に1日中行っているのだから
暑くも寒いもないのだ。

こんな考え方の違う人と何故結婚したんだろう。

毎日、不毛な日々を過ごしていくことになった。

14年間の生活を振り返る

一応、恋愛結婚で、恋愛期間の間は、それなりに
楽しかったのではないかと思うんだけど、
(今はもう思い出せない。)
結婚生活を始めてから、夫はガラッと変わってしまった。

よく籍を入れると関係性が変わるよとは聞いていたが、うちも全く人が変わってしまい、今までの恋愛期間のあれは何だったの?というくらい違ってしまった。

一緒に生活をしてみて始めてわかった。
この結婚は間違いだったと!!
心の奥底で感じてしまった。

家族や友達、誰にも言えない。
人生大間違いをしたと思ったがもう遅い。
結婚式もしてしまった。

じわじわと焦り、後悔、戸惑い、
空虚感が襲ってきた。
あらゆる悲しいという意味の言葉を通り越して、
そこはかとない悲しさが襲い、
人生が終わったように感じた。

元に戻りたかったが、
私のお腹には、
もう既に赤ちゃんがいる。

きっと赤ちゃんが生まれれば、
いいパパになってくれるはずと、
幻想を抱いて生活を続けていった。

私は感性を重視するタイプの人間で
感性があった人と友達になってきた。

こんなに感性が違う人と生活をするなんて、
私の中ではあり得ない。
と、心の中でつぶやいていた。

毎日この人が仕事が終わったらうちに帰ってくる。
えっ、この人が?
改めて、毎日苦痛を感じ始めた。

私は、会社を辞め、専業主婦になったので、
相手が会社に行っている間に、
買い物に行き、ごはんを作る役割に。

恋愛期間は3年で、遠距離恋愛だった。
恋愛中は仲良くいろいろ旅行に行ったり、
楽しくデートもしていた。

しかし、あの時の感情覚えてる?
というくらい、生活をしていく中で
全く親しみを抱かず、ますます冷たくなり、
指示命令をするようになっていった。

私はケンカをする度に、
「ロボットと生活してるみたい!!」と伝えたが、表情1つ変えなく、何の反応もなかった。
結果、何ひとつ変わらなかった。
何一つ響かなかった。
何も変わらないことが、また、悲しかった。
今まで友達や会社でも話せばわかる、
うまく伝わらない時は工夫をすれば
少しは伝わっていくものだと思っていた。

元夫から、家計簿をつけてほしいと要望があり、
家計簿位はつけてみてもいいかと生活費を
もらってからつけ始めた。
スーパーに買い物に行って、レシートをみながら、毎日夕食が終わって、家計簿をつけるのだが、
数字が合わない時もある。
1円合わなくても終わらせてくれないし、
寝かせてもくれない。
「きちんとやってよ!」と。
ここは銀行なの?と思うほど
執拗に義務を守らせようとした。

恋愛期間中は、そこまで強くは出なかったが、
結婚という逃れられない法律で縛った途端、
強気に出てきた。
モラハラの特徴、
相手を支配下に置きたがる傾向だ。

結婚当初はモラハラという言葉もまだなく、
ただ考え方の違いでうまくいかないとだけだと
思っていた。

私は里帰り出産をする為実家に戻った。
出産すぐに、病院に面会に来た元夫に、
赤ちゃんを見てもらい、抱っこもしてもらった。
何か言葉がほしかったので、「何か言ってよぉ〜」というと、
「産んでくれてありがとう!」とか、「お疲れ様でした大変だったでしょう」とか言って欲しいのかもしれないけど、そういうのは違うと思うんだよね!
男性と女性は、元々役割が違っていて、僕が産んでもらってるわけでもないし、辛い目に合わせてるわけでもないからね。フィフティフィフティだからね〜と。
そう言って終わった。
唖然とした。
涙は出なかった。

こんなにも人の気持ちを組めない人と結婚してしまったのか?
自分の子供を産んでくれたばかりの人に対して、
この言葉が言える神経。

よくテレビドラマで、出産シーンが出て、
「おめでとう!ありがとう!!お疲れ様。」
と、ご主人から言われているのを見ると、
幸せそうでいいなぁ〜、私なんか、と、
辛い気持ちが、毎度蘇ってくる。

ひとつひとつ噛み合わないことが積み重なり
結婚生活自体、どんどんすさんでいった。
相手を憎むというより、自分の見る目のなさが情けなかった。

産婦人科の病室のベッドの上で、
もうひとつ訴えた。
「家計簿はもう付けたくない!
1ヶ月生活費としてもらい、それを私の裁量で
やりくりしたい!」と主張し
幸いこの方法は認められ、
家計簿はやめることができた。
家に戻り子育てをしながら、毎日家計簿を付け、
1円合わないことで詰められては持たない。

生活費やお金の事はきちんと
最初に決めておいた方がいい。
お金のことは途中ではなかなか変えられないし、
やっぱり金の切れ目が縁の切れ目だから。

結婚生活を続け、夫は自分の思い通りにいかないと
「ちゃんとしないなら、もう、出て行ってよぉ〜!」
「あなたは必要ないから」。
14年間でこんな意味のことを彼はいつも言っていた。自分が結婚をした人に対して、なんてひどい言葉を言えるんだろうと冷静に私は思っていた。私は夫に対して、嫌いなこと悪いことは伝えていたが、人格否定するようなことは言わなかった。言うと天井に唾を吐いているのと同じだ思っていたし、それを言うと同じ穴のムジナになるとも思っていたので。
まあ、これがモラハラなのだが。

モラハラを受けていると自己防衛を自然とするようになる。悲しい気持ちは勿論あり、離婚も毎日頭の隅にあり考えていたが、そればかりが中心に来ると生活できなくなるため、自分の精神を正常に保とうと、嫌な事は忘れようとする。本当に忘れていったものもあったと思う。そうしないと生きていけないから。

毎日嫌なことがあっても誰にも話さないし、仕事を始めてからは、仕事に集中していたし、会社では明るく振る舞っていたので、まさか私が家でこんなことを夫に言われてるなんて誰も思っていなかっただろう。
私には、会社が本来の自分を取り戻せる唯一の場所だった。

それと子供。
子供の存在がパワーをくれた。

子供は自然に可愛いと思えたし、元気に育って欲しかった。だから仮面夫婦を私は演じていったのだろう。子供には不憫な思いをさせたくなかったし、家族での生活をさせてやりたかった。そんなこんなで子供が小さい時には、離婚に踏み切れなかったのだ。夫婦仲が悪いのを子供にも周りの人にも保育園の先生にも悟られたくなかった。

子供には、
「本当にありがとうね!あなたなしでは生きてこれなかったと思うし、子供の頃は本当に可愛かったよ。可愛かったから不憫な思いをさせまいと頑張っていたんだけど、夫婦関係がこんなだったから、怒ったりたたいたりしてごめんね。これからはあなたが幸せになってくれることが一番の幸せだよ!」
と今は思っている。

結婚13年経った頃、自宅にいた時に、
たまたま、リビングに座っている夫の後ろを通った時に、
私の手が彼の頭に当たってしまった。
ぶたれたと思ったらしい。
「止めてよー!」と思い切り、
反撃され、拳で何度か頭を殴られた。
やはり男性に思い切り殴られると、
相当なダメージになる。
相当痛かった。
ずきんずきんと痛みが残った。

ここまできたかと離婚の覚悟を決めた瞬間だった。
今までは、子供もいるからもう少し頑張ろうと思ってきたが、「迷い」が「決断」へと変わった。今まで暴力はなかったが、やはり一度されると今後もされるのではと不安に思うようになる。こんなことをされてまで生活したくないと、人間本来の気持ちが湧いてきた。

こんな私の14年間の結婚生活を終わりにするまでを綴っていく。

#「迷い」と「決断」

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