モラハラで離婚しました。

14年間の結婚生活にピリオドを打ちました。モラルハラスメントが原因での離婚で

14年間の生活を振り返る

一応、恋愛結婚で、恋愛期間の間は、それなりに
楽しかったのではないかと思うんだけど、
(今はもう思い出せない。)
結婚生活を始めてから、夫はガラッと変わってしまった。

よく籍を入れると関係性が変わるよとは聞いていたが、うちも全く人が変わってしまい、今までの恋愛期間のあれは何だったの?というくらい違ってしまった。

一緒に生活をしてみて始めてわかった。
この結婚は間違いだったと!!
心の奥底で感じてしまった。

家族や友達、誰にも言えない。
人生大間違いをしたと思ったがもう遅い。
結婚式もしてしまった。

じわじわと焦り、後悔、戸惑い、
空虚感が襲ってきた。
あらゆる悲しいという意味の言葉を通り越して、
そこはかとない悲しさが襲い、
人生が終わったように感じた。

元に戻りたかったが、
私のお腹には、
もう既に赤ちゃんがいる。

きっと赤ちゃんが生まれれば、
いいパパになってくれるはずと、
幻想を抱いて生活を続けていった。

私は感性を重視するタイプの人間で
感性があった人と友達になってきた。

こんなに感性が違う人と生活をするなんて、
私の中ではあり得ない。
と、心の中でつぶやいていた。

毎日この人が仕事が終わったらうちに帰ってくる。
えっ、この人が?
改めて、毎日苦痛を感じ始めた。

私は、会社を辞め、専業主婦になったので、
相手が会社に行っている間に、
買い物に行き、ごはんを作る役割に。

恋愛期間は3年で、遠距離恋愛だった。
恋愛中は仲良くいろいろ旅行に行ったり、
楽しくデートもしていた。

しかし、あの時の感情覚えてる?
というくらい、生活をしていく中で
全く親しみを抱かず、ますます冷たくなり、
指示命令をするようになっていった。

私はケンカをする度に、
「ロボットと生活してるみたい!!」と伝えたが、表情1つ変えなく、何の反応もなかった。
結果、何ひとつ変わらなかった。
何一つ響かなかった。
何も変わらないことが、また、悲しかった。
今まで友達や会社でも話せばわかる、
うまく伝わらない時は工夫をすれば
少しは伝わっていくものだと思っていた。

元夫から、家計簿をつけてほしいと要望があり、
家計簿位はつけてみてもいいかと生活費を
もらってからつけ始めた。
スーパーに買い物に行って、レシートをみながら、毎日夕食が終わって、家計簿をつけるのだが、
数字が合わない時もある。
1円合わなくても終わらせてくれないし、
寝かせてもくれない。
「きちんとやってよ!」と。
ここは銀行なの?と思うほど
執拗に義務を守らせようとした。

恋愛期間中は、そこまで強くは出なかったが、
結婚という逃れられない法律で縛った途端、
強気に出てきた。
モラハラの特徴、
相手を支配下に置きたがる傾向だ。

結婚当初はモラハラという言葉もまだなく、
ただ考え方の違いでうまくいかないとだけだと
思っていた。

私は里帰り出産をする為実家に戻った。
出産すぐに、病院に面会に来た元夫に、
赤ちゃんを見てもらい、抱っこもしてもらった。
何か言葉がほしかったので、「何か言ってよぉ〜」というと、
「産んでくれてありがとう!」とか、「お疲れ様でした大変だったでしょう」とか言って欲しいのかもしれないけど、そういうのは違うと思うんだよね!
男性と女性は、元々役割が違っていて、僕が産んでもらってるわけでもないし、辛い目に合わせてるわけでもないからね。フィフティフィフティだからね〜と。
そう言って終わった。
唖然とした。
涙は出なかった。

こんなにも人の気持ちを組めない人と結婚してしまったのか?
自分の子供を産んでくれたばかりの人に対して、
この言葉が言える神経。

よくテレビドラマで、出産シーンが出て、
「おめでとう!ありがとう!!お疲れ様。」
と、ご主人から言われているのを見ると、
幸せそうでいいなぁ〜、私なんか、と、
辛い気持ちが、毎度蘇ってくる。

ひとつひとつ噛み合わないことが積み重なり
結婚生活自体、どんどんすさんでいった。
相手を憎むというより、自分の見る目のなさが情けなかった。

産婦人科の病室のベッドの上で、
もうひとつ訴えた。
「家計簿はもう付けたくない!
1ヶ月生活費としてもらい、それを私の裁量で
やりくりしたい!」と主張し
幸いこの方法は認められ、
家計簿はやめることができた。
家に戻り子育てをしながら、毎日家計簿を付け、
1円合わないことで詰められては持たない。

生活費やお金の事はきちんと
最初に決めておいた方がいい。
お金のことは途中ではなかなか変えられないし、
やっぱり金の切れ目が縁の切れ目だから。

結婚生活を続け、夫は自分の思い通りにいかないと
「ちゃんとしないなら、もう、出て行ってよぉ〜!」
「あなたは必要ないから」。
14年間でこんな意味のことを彼はいつも言っていた。自分が結婚をした人に対して、なんてひどい言葉を言えるんだろうと冷静に私は思っていた。私は夫に対して、嫌いなこと悪いことは伝えていたが、人格否定するようなことは言わなかった。言うと天井に唾を吐いているのと同じだ思っていたし、それを言うと同じ穴のムジナになるとも思っていたので。
まあ、これがモラハラなのだが。

モラハラを受けていると自己防衛を自然とするようになる。悲しい気持ちは勿論あり、離婚も毎日頭の隅にあり考えていたが、そればかりが中心に来ると生活できなくなるため、自分の精神を正常に保とうと、嫌な事は忘れようとする。本当に忘れていったものもあったと思う。そうしないと生きていけないから。

毎日嫌なことがあっても誰にも話さないし、仕事を始めてからは、仕事に集中していたし、会社では明るく振る舞っていたので、まさか私が家でこんなことを夫に言われてるなんて誰も思っていなかっただろう。
私には、会社が本来の自分を取り戻せる唯一の場所だった。

それと子供。
子供の存在がパワーをくれた。

子供は自然に可愛いと思えたし、元気に育って欲しかった。だから仮面夫婦を私は演じていったのだろう。子供には不憫な思いをさせたくなかったし、家族での生活をさせてやりたかった。そんなこんなで子供が小さい時には、離婚に踏み切れなかったのだ。夫婦仲が悪いのを子供にも周りの人にも保育園の先生にも悟られたくなかった。

子供には、
「本当にありがとうね!あなたなしでは生きてこれなかったと思うし、子供の頃は本当に可愛かったよ。可愛かったから不憫な思いをさせまいと頑張っていたんだけど、夫婦関係がこんなだったから、怒ったりたたいたりしてごめんね。これからはあなたが幸せになってくれることが一番の幸せだよ!」
と今は思っている。

結婚13年経った頃、自宅にいた時に、
たまたま、リビングに座っている夫の後ろを通った時に、
私の手が彼の頭に当たってしまった。
ぶたれたと思ったらしい。
「止めてよー!」と思い切り、
反撃され、拳で何度か頭を殴られた。
やはり男性に思い切り殴られると、
相当なダメージになる。
相当痛かった。
ずきんずきんと痛みが残った。

ここまできたかと離婚の覚悟を決めた瞬間だった。
今までは、子供もいるからもう少し頑張ろうと思ってきたが、「迷い」が「決断」へと変わった。今まで暴力はなかったが、やはり一度されると今後もされるのではと不安に思うようになる。こんなことをされてまで生活したくないと、人間本来の気持ちが湧いてきた。

こんな私の14年間の結婚生活を終わりにするまでを綴っていく。

#「迷い」と「決断」

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